どんなことでも、歴史を知ると「なぜ今こうなっているのか?」ということがわかって面白いものです。
そこで、この記事ではトライアスロンの歴史について詳しく書いて見ることにしました。いざトライアスロンの歴史を調べてみると日本語だとあまり詳しいものが見つからなかったので、英語の情報も調べてまとめています。既にトライアスロンをやっている人も読んで見ると面白い発見があるかもしれませんよ。
トライアスロンの発祥は?
トライアスロンの原型は、1920年代にフランスで開催されていた”Les trois sports”や”La Course des Débrouillards”、”La course des Touche à Tout.”と呼ばれるレースだと言われており、当時は「トライアスロン」という呼び名もなく競技の順番も今とは違いました。例えば1920年に開催された “Les Trois Sports” というレースはランが 3 km 、バイクが12 km、スイムはMarne川を横断するというものだったそうです。
現在のトライアスロンと呼ばれるレースが初めて開催されたのは、1974年9月25日、アメリカのカリフォルニア州サンディエゴです。距離はスイム500ヤード(約457m)、バイク5マイル(約8km)、ラン6マイル(約9.7km)、出場した選手の数は46名でした。
発案者はJack Johnstone と Don Shanahanの2人で、地元の陸上クラブ(San Diego Track Club)がスポンサーとなって開催されました。これが現在では初めてのトライアスロンレースとされています。「Triathlon」という言葉もこのときに2人が考えたもので、この大会は「the Mission Bay Triathlon」と呼ばれました。
初めてのトライアスロン大会を開催したときの経緯を Jack Johnstone 本人が記事にしています。
この記事によると、Jack Johnstone は学生の頃は平凡な競泳選手でした。35歳になって太ってきたのでダイエットの為にランニングを始め、レースにも参加するようになりますがそこでも平凡な成績しか出せずに苦しみます。
そんなときにthe Dave Pain* Birthday Biathlonというランニングと水泳を組み合わせた競技(今で言うアクアスロン)のことを知り、「水泳もできるランナーはそういない、この競技こそ自分のやりたい競技だ!」と感じ、所属していたサンディエゴ陸上クラブに「スイム+ランの大会を開催したい」と提案し、開催が決定します。そのときに Jack が紹介された人物が Don Shanahan で、バイクも加えたいと提案したのはDonだったそうです。Donがいなかったら今のような形のトライアスロンは無かったかもしれません。
それにしてもJackが「自分向きのレースを自分で開催しよう」と考えて実行するところがすごいですね。よっぽどレースで活躍したかったのでしょうね(笑)
この記事には他にも初開催の時の様子やリザルトなどが掲載されています。英語ですが読むと面白いですよ。
アイアンマンの始まり
トライアスロンというと日本では鉄人レースと呼ばれたりしますが、その由来となっているのが1978年にハワイのオアフ島で開催された「アイアンマン」レースです。
当時、オアフ島では「ホノルルマラソン」、「ワイキキ2.4マイル・ラフウォータスイム」、「アラウンド・オアフ 112マイル・バイクレース」という3つの耐久レースが開催されていました。
1977年、John Collins という退役軍人が宴会の席で「この3つのレースのうちどれが最も過酷か?それを決めるために3つをまとめてやってみよう」と提案しました。実は John Collins はサンディエゴで開催されていたトライアスロンに参加しており、だからこそこういう発想になったのかも知れませんね。
そうして、1978年にたった15名の参加者で第1回目のアイアンマンレースが開催され、完走者は12名でした。その時に設定されたスイム3.8km、バイク180km、ラン42.195kmという距離と制限時間17時間は現在のアイアンマン大会にも引き継がれています。
トライアスロン人気の広がり
その翌年は50名の参加者が集まりましたが、悪天候のためスタートしたのは結局15名でした。しかし、ゴルフのハワイアンオープンの取材に来ていた有名スポーツ紙(スポーツ・イラストレイテッド)の記者が、たまたまこの大会のことを知り記事にしたことで注目を集めるようになりました。しかし、この時点ではまだブームと言えるほどではありません。
そんな中、1982年に開催されたアイアンマンで大きな出来事が起こります。
この大会で女子1位を走っていた Julie Moss という女性選手がゴール近くで脱水症状になり倒れ、後続の選手に抜かれ1位を逃してしまいます。ところが1位を逃してもMossはゴールすることを諦めず這ってゴールするというシーンが世界中で放映され感動を呼びます。この出来事でトライアスロンとアイアンマンの知名度が一気に広がることになりました。ちなみに、このエピソードから「ゴールした選手は全員勝者( just finishing is a victory )」というスローガンが生まれています。
また、アイアンマンの公式ルールのランパートには「選手は、走り、歩き、または這って進むことができる( Athletes may run, walk, or crawl )」と規定されていますが、この中の「這う」はこのエピソードを踏まえて追加されました。
現在、「アイアンマン」シリーズは世界各地で開催され、トライアスロンの中で最も人気のある大会シリーズの一つになっています。
トラアスロンの発展期
こうしてトライアスロンの知名度が広がる一方で、アイアンマンの距離はハードルが高く一般向きではないということで、1982年に米国トライアスロンシリーズ(USTS)でスイム1.5km、バイク40km、ラン10km、合計51.5kmとする規格が設定されて、国際的に広まっていきます。後にこの規格がオリンピックにも採用されることになります。
距離が短くなり参加しやすくなったこともあってか1980年代か1990年代の間にアメリカではすっかりメジャーなスポーツになり、1989年には国際トライアスロン連合(ITU)が設立され、初のITU世界トライアスロン選手権が開催されています。
ヨーロッパでも1990年代に入って人気が上昇し、現在はレースに申し込むだけでも苦労するような状況が続いています。このような流れを受け、2000年のシドニーオリンピックから五輪正式種目にも採用されるようになりました。
現在のトライアスロンと主要な世界大会
現在では各地域毎のローカルな大会から世界大会まで、数え切れないほどたくさんのトライアスロンレースが開催されています。特にアメリカやヨーロッパでは人気が高いスポーツになっています。
そして、世界的なレースシリーズとしては現在、次のようなものがあります。
オリンピック
2000年のシドニーオリンピックから正式種目に採用。距離はショート・ディスタンスで行われ、51.5km(スイム1.5km、バイク40km、ラン10km)。シドニーオリンピック以降、この距離をオリンピック・ディスタンスと呼ぶようになっています。
2016年からパラリンピックでも正式種目として採用されています。
ITU 世界トライアスロンシリーズ(WTS)
ITUが毎年開催している大会で、オリンピックディスタンスでは最高峰の大会と位置づけられています。2008年までは1大会で世界王者を決めていましたが、2009年以降は1シーズンで複数の大会を行い、そこで獲得したポイントの合計で王者を決める方式に変わりました。また、ポイント上位の選手が9月に開催されるグランドファイナルに出場することができます。日本では5月に横浜で開催されています。
ITU 世界トライアスロンシリーズ公式サイト(英語)
ITUトライアスロンワールドカップ
1991年から開催されているITU主催のシリーズ戦。毎年世界各地を転戦します。こちらも距離は51.5km。2008年にITUのレース再編でWTSに移ったレースもありレース数が減っています。WTSとの棲み分けが微妙に感じますが、ワールドカップの成績もWTSに反映されるようになっています。昔は石垣島で開催されていましたが、ここ数年は宮崎で開催されています。
アイアンマン
WTCが主催するロングディスタンスのシリーズレースです。先ほども書いたように、オアフ島から始まりましたが、現在は世界各地で開催されるアイアンマンシリーズが予選となり、上位入賞者(と抽選で通った人)のみが年に1回ハワイ島で開催される「アイアンマン世界選手権大会」に出場することできます。狭き門なので、「ハワイに出た」というのはトライアスリートのステータスともいえます。
アイアンマン公式サイト(英語)
チャレンジ・シリーズ
ドイツのチャレンジ・ファミリーが運営しているアイアンマンと同じ距離の大会です。アイアンマンと同じく世界各地で開催されており、最近はアイアンマンに勝るとも劣らない人気が出てきています。
チャレンジ・ファミリー公式サイト(英語)
日本国内のトライアスロンの歴史
日本初のトライアスロン
日本人が初めてトライアスロンに参加したのは1980年に開催された第4回ハワイアイアンマン大会、そして日本で初めてトライアスロンが開催されたのは1981年、鳥取県の皆生です。皆生温泉旅館組合が60周年記念事業として企画したのが始まりで、その時の距離はスイム2.5km、バイク63.2km、ラン36.5kmという距離で、今で言うところのミドルディスタンスの大会といえますね。大会開催には相当の苦労があったようで、その様子は「日本トライアスロン物語」に詳しく紹介されています(vol.14〜vol.22)。この大会は現在でも全日本トライアスロン皆生大会として開催されており、ロングディスタンスの代表的な大会となっています。
日本のトライアスロン発展期
1985年には宮古島で宮古島トライアスロン大会、滋賀県でアイアンマンジャパンびわ湖、熊本県で日本初の51.5kmの大会である天草国際トライアスロンが開催されました。この年はロング・ディスタンスとオリンピック・ディスタンスという2つの代表的な大会フォーマットが同時に開催された記念すべき年といえますね。これ以降、トライアスロン大会が次々に開催されブーム的になりました。
1994年には日本トライアスロン連合(JTU)が発足し、現在は大小合わせて約200の大会が全国で開催されるようになっています。
現在の日本のトライアスロン
1990年代前半まではトライアスロンはブームでしたが、バブル崩壊後の不景気もあってか私がトライアスロンを始めた2000年頃は、申込ギリギリにエントリーしても参加OKな大会が結構ありました。また、リーマンショックの時には毎年参加していた伊良湖大会の規模(アワードパーティーの豪華さなど)が一気に縮小されたことを覚えています。
ところが、2010年代に入ってからマラソンやロードバイクのブームにのってトライアスロン人口が増えたのか、定員いっぱいになる大会が増えてきました。私が始めた頃に比べて出たいレースに出にくい状況になってきています。
そう思うと現在は第二のトライアスロンブームかもしれませんね。この調子でトラアスロン人口が増え発展して行ってくれると愛好者としてはうれしい限りです。出たいレースに出にくくなるのがちょっと寂しいですけどね。
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